№1浅川のささら
浅川のささら
20年に1度の合同祭礼、大子町「浅川のささら」
2016年3月に、大子町で茨城県指定無形民俗文化財に指定されている「浅川のささら」が20年振りに披露されました。20年に一度の舞を見ようと、地元の方々だけでなく、全国から多くの人々が訪れました。
徳川光圀も鑑賞された「浅川のささら」
「浅川のささら」は、大子町浅川の熊野神社・真弓神社の正遷宮合同祭礼で奉納される獅子舞です。この舞は、20年毎に行われる貴重な伝統行事です。伝承によると江戸時代の元禄年間に西金砂神社(常陸太田市)で行われた田楽祭に浅川の獅子舞も自製の獅子頭で参加しました。領内の郷土芸能に深い関心を持っていた水戸藩第二代藩主徳川光圀は、当時この祭事を鑑賞していました。浅川の獅子舞が妙技を極めたので、徳川光圀公よりお褒めのことばを戴き、公秘蔵の獅子頭3体を賜ったといわれ、以来この拝領の獅子頭で地元神社の祭礼に際し獅子舞を奉納する習わしになっていると伝えられています。(文化財に指定されている獅子頭は、長年の使用により損傷の心配があり、保存のために現在は、新調した獅子頭を使用しています。)拝領の獅子頭は、鎌倉時代の名工春日(かすが)の作と伝えられ、地元熊野神社の宝物となっており、茨城県指定有形文化財に指定されています。
3頭の獅子による舞
「浅川のささら」は獅子が3名、囃子が4名の計7名によって構成されています。3頭の獅子は、向かって右端が太良獅子(浅川太良)、左端が次郎獅子(水戸保内次郎 ※保内とは大子地方を表す古い呼び方)、真中が女獅子となっており、この並びで10種の舞を行います。 一般に言う「ささらの踊り」は、「簓(ささら)や拍板(びんざさら)」といった楽器が使われるのが通例ですが、「浅川のささら」ではそれに代わり、太鼓を腹に抱え打ち鳴らしながら、囃子の笛に合わせて踊るさまが、一つの特徴となっています。演技者の両脇にある青いのぼり旗に書かれている文字は、江戸時代末期の水戸藩士であり、学者でもある、藤田東湖の揮毫と伝えられています。藤田東湖は水戸藩の第9代藩主である徳川斉昭公の片腕として、その力を発揮した人物です。ささら舞の披露の折には、この旗を立てる習わしとなっています。
10種の舞
1. かいどう
神輿の露払いとして先導役を受け持ち、お宮から祭りの会場へ向かう時のほか、祭り場からお宮へ帰る際に、道中で舞う踊り
2. いれは
「四海波静」の言葉の如く、世の中の平和を願う舞
3. ひいらいとうらい
前途に希望をいだく開運の舞
4. おひゃらひゃろう
世の万民が己の生業(なりわい)、生きていくための仕事、家業に精進する舞
5. おかざき
衣食住の向上、五穀豊穣、商売繁盛を祈念する舞
6. うたたね
全ての休みを象徴する「静」の舞
7. ふっくつし
出陣の舞、勇ましい舞
8. すっこまい
激動を意味する舞、ささらの舞の中でも最も激しい舞
9. ししんまい
勝利の光明を見だした喜びを表現する舞
10. とどのめ
浅川のささら十種の舞の中で、最後の舞。天の神、地の神に感謝を捧げる舞
時代を超え受け継がれる伝統
演技者の7名は、浅川区内に居住する青年で、永住性のある嫡男の中から神への奉仕者として身体健康、品行方正、思想健実な者から厳選され、決定されます。新旧の交代は熊野神社の正遷宮祭典、即ち20年毎に行い、その間旧手によって新手を養成、教育し、新演技者は次期の正遷宮祭典、新手養成までの20年間、獅子舞に関する技術と芸能の保存、維持、継承の責任を果たす義務を負います。演技者の方は「旧手より教えてもらいながら、半年かけて、獅子の舞を身につけました。500年近い歴史を持つ伝統行事なので、今後も守り続けていきたいです。」と話してくれました。