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№2 関東三大裸祭り 常陸大宮の裸祭り

常陸大宮の裸祭り

常陸大宮の裸祭り

 

関東三大裸祭り 常陸大宮の裸祭りの魅力を紹介!

全国に実は多く存在する「裸祭り」。人々が直接肌でぶつかり合う姿には血潮が沸き立つ熱気を感じます。今回、関東三大裸祭りの一つに数えられる茨城県常陸大宮市の裸祭りを特集しました。主催者の方々にも話を伺い、その魅力に迫ります。

 

どんなお祭り?

この祭りは毎年7月最終週の金曜・土曜日に素鵞神社(そがじんじゃ)で開催される祇園祭です。
二日間の来場者数は3000人を超える市を代表するお祭りです。
平成30年は7月27日(金)・28日(土)に行われます。

 

【スケジュール】

  • 27日(金) 18:30~ 子供神輿2基の渡御
  • 28日(土) 18:00~ 屋台の巡行 18:30 大人神輿の渡御

 

常陸大宮の裸祭り

常陸大宮の裸祭り

素鵞神社と鳥居

なぜ「裸祭り」?

常陸大宮の裸祭り このお祭りは関東三大裸祭りの一つに数えられています。
その理由は、28日(土)に行われる神輿渡御の際に「半纏を着ることが禁止されている」からです。1トン近い神輿の担ぎ手達は皆裸にふんどしの格好になり、夜の市内を提灯に囲まれて揉み合いながら進んで行きます。

 

クライマックスは28日(土)の夜

常陸大宮の裸祭り このお祭りのクライマックスは土曜日の夜に行われる「お宮出し」。
神主にご神体を入れられた神輿は神社を時計回りに回り、神社とご神木の間を通って出て行きます。ただ、簡単に間を通れるわけではありません。
お宮出しの際は六つの町内が北・南の2組に分かれ、片方の組が神輿を担ぎ、もう片方の組はそれを邪魔します。神輿が神社とご神木の間を通れなかった場合には何度もやり直しになります。
神輿を通そうとする担ぎ手と、それを阻止する組との全力のぶつかり合い。裸の担ぎ手達の激しい戦いがお祭りを盛り上げます。

 

まだある見どころを一気に紹介

この「お宮出し」がお祭りの最大の見せ場です。ただ、それ以外にも様々な見せ場があるので一気に紹介。

 

1.土曜日夕方の屋台の巡行

神輿の渡御の前には、表町の中の一つの町から連番で屋台の巡行が行われます。この屋台は釘が1本も使われず、お祭りに合わせて毎年一から組み立てられます。屋台の上ではお囃子が演奏され、各町会の町庭では余興を披露してお祭りを盛り上げます。

 

2. 神輿渡御のラスト「お宮入り」

夜街を練り歩いた神輿は夜10時に神社に帰ってきます。
神社西側の横断歩道付近で再び北と南に分かれて揉み合いを行います。ふんどし姿の男同士のぶつかり合い。
時間いっぱいまで揉み合います。

 

3. 町中に立ち並ぶ露店

お祭りといったらやっぱり露店!お祭りのメインストリートには多くの露店が立ち並びます。
2日間で3000人の人出となるため、大変賑わいます。
店には市B-1グランプリの料理を出す店もあり、ご当地グルメを味わえます。
夜にはこの露店の間を神輿が通るため、こちらも大変に賑わいます。

 

4. 大宮商店会によるイベント

28日(土)の18時から中心街駐車場で、戦隊もの・ダンス・パフォーマンスなどのショーが開催されます。
また、商店会大売り出しも行われます。
最後にはお楽しみ抽選会がありますので、ぜひこちらにもお越しください。

 

 

常陸大宮の裸祭り

昨年巡行した屋台

 

主催者の方々へのインタビュー

今回、特別に氏子会の方々と神主さんにこのお祭りの歴史と想いをインタビューしてきました。

常陸大宮の裸祭り

今回お話を伺った皆様。
左から、栗田さん(氏子総代)・大賀さん(氏子会会長)・滑川さん(宮司)・内藤さん(責任役員)・松本さん(副会長)

祇園祭の今は昔

常陸大宮の裸祭り このお祭りが行われる素鵞神社の始まりは1200年前。
時の征夷大将軍の坂上田村麻呂が「天野原」という地域を通った際に子供達が担いでいた牛頭天王の像(現ご神体)を祀ったのが始まりと言われています。
その後、3回ほど場所を移し江戸時代に今の場所に鎮座するようになりました。
(幕府の制度により、今隣接する甲神社の摂社として鎮座するようになったそうです。)
文献では1684年にはお神輿が作られたとされており、その頃には今のスタイル(ふんどしで神輿を担ぐ)でお祭りが行われていたと考えられています。

 

昭和初期のお祭り

昔のお祭りは神輿渡御が4日間に渡って実施され、深夜まで盛り上がっていたそうです。
まだ車も多くない時代、道路を自由に利用し今よりも広い地域まで渡御が行われていました。
氏子は全員が強制参加で学校も休校になるほどでした。参加できない人は代わりの者を出さないといけないほど。
当時の大宮地区は周辺で最大の街であり、1年に1度の楽しみとしてこの裸祭りは大いに盛り上がったそうです。

 

時代の変わり目は昭和40年代

しかし、高度経済成長期に入ると一気に車の交通量が増え、それまでのように車道を自由に使ってのお祭りを開催できなくなりました。
そこで、大宮バイパスが完成するまでの期間(昭和40年〜53年)、お祭りが中止されたとのこと。

ようやくバイパスが完成してお祭りも再開。ただ、交通規制も厳しくなって開催時間が制限されるようになり、祭礼は二日間に縮小されました。
また、10年以上の中止によって市民の参加意識が薄れてしまい徐々に参加者数も減ってきています。
特にこれを機に若い担ぎ手たちの参加も徐々に減ってしまい、今では若い担ぎ手がごく少数になっています。

最盛期には数百人の担ぎ手がいましたが、今では100人いるかどうか。
担ぎ手も徐々に高齢化しており、昔に比べて神輿の渡御の時間も短くなってきているそうです。

 

震災を乗り越え それでもお祭りは続いていく

昭和40年代の反省を踏まえ、地元の方々は「今後は何があってもお祭りを中止しない」と誓いました。
平成23年の東日本大震災では常陸大宮市も大きな被害を受け、甲神社と摂社 素鵞神社も甚大な被害を受けました。

氏子会では【震災復旧奉賛会】を設置し、寄付金3000万円で復旧工事を行いました。
お祭りへの参加者は減ったとしても神社はこの地域の方々の心の拠り所として受け継がれていました。

だからこそ、これからも毎年お祭りの開催を続けていきたいと考えています。

常陸大宮の裸祭り

常陸大宮の裸祭り

新設された甲神社の鳥居と神門

知ってほしいこのお祭りの魅力

常陸大宮の裸祭り このお祭りの最大の魅力は神輿の渡御。
「お宮出し」のぶつかり合いや市内の渡御の中で生まれる担ぎ手たちの一体感は「参加してこそ」体験できるもの。
神輿は釘を使わずに組まれているため、担いでいる際に木と木がぶつかり「カサカサ」と音がなるそうです。
これは担ぐリズムと足踏みがピッタリ合った時になるそうです。

 

担ぎ方と基本的なルールを守ってくれる方であれば誰でも参加可能で、近年は外国人の方も参加しているそう。
もしも今回興味を持たれた方がいれば、下記URLに記載されている問い合わせ先に一度ご連絡下さい!

 

大宮の祇園夏祭り 勇壮な裸神輿

https://omatsurijapan.com/search/m/1047/

 


 

当日車で行かれる方は下記特設駐車場をご利用されると便利です!
常陸大宮市文化センター:ロゼホールの市役所側駐車場(交通止め除外地区)
夏祭り2日間は、大宮地区の道路は交通止めとなります。駐車場から神社までは徒歩で10分

名称 大宮の祇園夏祭り 勇壮な裸神輿
開催場所 茨城県常陸大宮市下町219
開催日 平成30年7月27日(金)~平成30年7月28日(土)
7月下旬の金・土曜日
主催 大宮地区夏祭り実行委員会
アクセス 【車】常磐道那珂I.C 30分
【電車】JR水郡線「常陸大宮駅」から徒歩10分
※会場付近には駐車場がないため、できるだけ公共交通機関でお越し下さい。