№ 7 茨城県つくば市に伝わる「ガマの油売り口上」、その魅力とは。
「さあ~さあ~お立ち合い!御用とお急ぎでなかったら、ゆっくりと聞いておいで。遠目山越えは笠の内。聞かざる時は、物の出方・善悪・黒白がトーンと分からない。」
侍の格好をして片手に刀を持った油売りの、小気味のいい口上。「ガマの油売り口上」をご覧になったことはありますか?江戸時代末期に始まったこのパフォーマンスは、茨城県筑波山の名物となり、つくば市の無形文化財にも指定されています。
ガマの油って何?どうして口上をするの?どこで見られるの?そんな素朴な疑問から、この伝統芸能の魅力をご紹介します。
ガマの油売り口上とは?
「ガマの油」とは、もともとは江戸時代に傷薬として用いられていた軟膏。客寄せのために侍の格好をした行商人が口上を言いながら薬を売っていました。現在、薬は売っていませんが、茨城県筑波山を中心に、その口上が芸として残っています。
演者が侍の格好で刀を持って行いますが、あくまで大道芸なのでとてもコミカル。よく知られた「一枚が二枚、二枚が四枚…」と紙を刀で切っていくのも、実はこの油売りの口上の一部です。切った紙を紙吹雪にして飛ばす場面は華やかで観客の拍手を誘います。最後に腕に怪我をしたふりをして傷口に薬を塗って効果をアピールする、というのが流れです。
この伝統芸能を守る団体の一つが「筑波山ガマ口上保存会」。全国に120名ほどの会員がいます。保存会ができたのは19年前。毎週土日祝日10時から15時頃に、筑波山神社の随神門(ずいしんもん)広場でパフォーマンスを行っています。ほかにもつくば市内外の祭りやイベントへの出演、慰問活動などをしています。
ガマの油売り口上の歴史
そもそも「ガマの油」が使われ始めたのは戦国時代。筑波山・中禅寺の住職であった光誉上人(こうよしょうにん)が大坂冬の陣・夏の陣で従軍したのが始まり。負傷した兵士に塗ったところ、血がすぐに止まり、痛みも治まったとか。地元に帰った兵士たちがその話を伝え、全国に広まったと言われています。
それから100年以上の後、生まれたのが筑波山麓新治村の農民の息子、永井兵助(ながいひょうすけ)。彼は16歳だった1753年に江戸に出て仕事をしていたがうまくいかず、筑波に戻ってきました。途中筑波山の夕日の美しさを見て足を止め、お参りのために神社に寄ったときに、ガマの油売りを見かけたといいます。これを江戸で売ろうと思い、ガマ石に上り一週間考え、この口上を思いついたと言われています。ガマの油を江戸で販売すると大成功。大金持ちになったというのが言い伝えです。侍の格好をするようになったのは、永井兵助がそのような格好をしていたという資料が残っていたからです。
のちの明治、大正、昭和になって、筑波山の商店街や旅館の町おこしとして大々的にPRされるようになりました。
ガマの油売り口上の魅力
筑波山ガマ口上保存会が受け継ぐのは、「正調筑波山がまの油売り口上」と言われるもの。1769年の初代永井兵助から代々「名人」が任命され、現在は20代目。「名人」と呼ばれる人は、口上のうまさだけではなく、会をまとめる力、人徳も求められる方だそうです。
お話を伺った同会事務局の綾部さんは、大分県出身。東京での会社員時代、社員旅行などでギターを演奏したり歌を歌う同僚を見て、自分も何かしたいと思って始めたガマの口上。以来その楽しさに魅了され、茨城県に住むようになった今も自らのパフォーマンス、会の運営、そして若手の育成と精力的に活動されています。
綾部さんは「日本の伝統、はちまき、刀、タスキなど、いろいろな要素が入っているのが魅力。日本広しと言えど、「ガマの油」と言えば筑波、と認識されているものはほかにありません。つくば市認定地域無形民俗文化財第1号にも指定されており、もともとは香具師(ヤシ=縁日や市で見世物をして営業する商売人)の宣伝であったものが、今は文化財であることを誇りに思っています。」と語ります。世代を超えて伝わるガマの油売り口上。ぜひ、楽しんでいただきたいとのことです。
今後にかける思い
「2019年の茨城国体・ゆめ大会、2020年の東京オリンピック・パラリンピックをきっかけにガマの油売り口上を見ていただいて、面白さを広く伝えたい。」と語る綾部さん。
同保存会では、6月と11月の年2回、市民研修センターで「ガマの油売り講座」を行っています。約16分の口上を4日間の講座で覚え、興味を持ったら保存会に入り、一人でできるように練習していただいています。刀や扇子など小道具もあるので、使いこなせるようになるには数年かかかるそうですが、口上は4日間で覚えられるそうです。皆さん大きな声を出し、この伝統芸能を楽しんでいます。
また、2か月に1回発行する会報は、会員同士を繋ぐ重要なツール。東北から九州まで広がる会員の活躍を紹介しています。
さらに、地元の子どもたちを育成する活動も積極的に行っています。東日本大震災翌年の2012年正月、地元の青年部が「地元の子どもたちとつながる活動を」との要請を受けて始まったこの活動。子どもたちは『ガマガール』の名を冠し、地元の公会堂で練習し、お祭りなどのイベントで発表。世代を超えた交流はもちろん、人前に出て発表する経験から得られる自信はかけがえのないものになります。
綾部さんは「初めて教えた子どもがあまりに上手だったので、先輩が面白いことをやっているからやってみたいと後に続く子どもたちが入ってきました。歌を覚えるように自分で覚えますが、人前でできるようになるよう真剣に覚えようとします。そして何年かすると自分でできるようになる。学校の勉強と違うものにチャレンジするのは素晴らしいこと。そこにやりがいを感じます。」と語ります。
まだまだ全国に油売り口上を知らない人がたくさんいるので、伝統芸能の一つとして多くの人に知っていただき、永く残していきたいとのことです。
一人でも多くの人を楽しませたりすることができ、演じる人によって個性があるので何度聞いても面白いというのが何よりの魅力。是非、何度も聞いて、生の楽しさを味わってみませんか。