茨城の民話Webアーカイブ

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仁王様の親指

ニオウ サマ ノ オヤユビ

原文

むかし、阿波崎(現在の稲敷郡東村阿波崎)に、歳助というたいそう体の大きい力持ちかおりました。彼は、江戸に出て、りっぱな相撲取りになりたいという夢をもっていました。
夢は日に日に大きくなるばかり。とうとう彼は近くの観音寺境内にある仁王様に願をかけることにしました。「仁王様、私は相撲取りになりたいのです。仁王様の指一本分の力でいいのです。どうか私に力をお授けください。お願いします。」
彼は、毎日欠かさずに仁王様のところへ通い、一心不乱に祈り続けました。やがて満願の日、彼は仁王様の前に落ちている不思議なものを見つけました。よく見るとそれは仁王様の親指だったのです。(願いがかなう。)彼はそう思うと、仁王様の親指を持ち帰りいつも身につけて大切にしました。それから後、彼は比類のない大力となったということです。これは、江戸時代後期の横綱、稲妻雷五郎にまつわるお話です。身長188センチメートル、体重143キロ、27歳で佐渡ヶ嶽部屋に入門し、36歳で七代目横綱になりました。彼は、仁考天皇からいただいた四斗樽入りの祝い酒を両手に軽々と持ち上げて退場した話など多くの逸話を残し、83歳でこの世を去りました。阿波崎の観音寺仁王尊には、今でも親指をつぎ足した跡が残っているということです。

 

市町村 稲敷市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P50 〜 P50
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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