丁半博打と馬頭観音
ハンチョウ バクチ ト バトウ カンノン
原文
むかし、額田村古新田(現在の那珂町額田)のある農家に、太郎という年老いた馬がいました。この家の主人は、とても働きもので、毎日太郎と一緒に野良仕事に精を出しておりました。太郎は年のせいか、めっきり仕事量も減りましたが、それでも文句一ついわずにかわいがっておりました。
ところがこの主人には、博打好きという欠点があったのです。そして、「なあ、太郎や。こんど博打でもうけたら、好物の人参を腹いっぱい食わせてやるからな。」というのが口ぐせでした。でも下手の横好きで、勝ったためしがありませんでした。
ある日、主人は、いつものように博打に負けて、スッカラカンになって帰ってきました。馬小屋にいき、「すまんなぁ、太郎。またやられちまったよ。今日もわらでかんべんしてくれな。」というと、その日はどうしたことか、太郎が主人の袖をくわえてしきりにひっぱるのです。
不思議に思い、太郎を小屋から出してやると、袖をくわえたまま、どんどん博打場の方へ歩いていくのです。
(そうか、オレにもう一度勝負をしてみろということか……)
そこで主人はまた博打に加わることにしました。主人が丁か半か迷っている時でした。
外で太郎の足音がカタンカタンと二つ聞こえてきたのです。
まさかと思いながら、「丁」に張ってみると、何と「丁」の目がでたのです。次にカタンとーつならすので「半」にかけるとこれがまた大当り。太郎の足音通りにかけては勝ち続け、とうとう今までの損をすべてとりかえしてしまいました。
おかげで、太郎にも約束通り好物の人参を腹いっぱい食べさせてやることができました。ところが、年老いて急に食べすぎたせいか、あっけなく死んでしまったのです。
主人は愛馬の死を悲しみ、馬頭観音の石碑をたてて、ていねいにとむらい、これを機会にきっぱりと博打をやめてしまいました。それから、この馬頭観音にお願いすると、博打好きがなおるといううわさが広まり、多くの人がおまいりに来るようになったということです。
市町村 | 那珂市 |
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原文著者 | 染谷 萬千子 |
原文著者(ヨミ) | ソメヤ マチコ |
生年 | 1947年 |
原文著者備考 | 1947年茨城県ひたちなか市生まれ 茨城大学教育学部美術科卒 1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。 1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展 1983年 水戸で第二回個展 1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展 |
原文著者 | 茨城いすゞ自動車 |
原文著者(ヨミ) | イバラキ イスズ ジドウシャ |
原文著者備考 | 発行 |
原文著者 | 朝日広告社茨城支局 |
原文著者(ヨミ) | アサヒコウコクシャ イバラキシキョク |
原文著者備考 | 企画 |
媒体 | 図書 |
収録資料名 | ふるさとの昔ばなし |
収録資料名(ヨミ) | フルサト ノ ムカシバナシ |
収録資料シリーズ名 | 茨城の自然探訪シリーズ |
民話ページ | P65 〜 P65 |
収録資料出版社 | 茨城いすゞ自動車 |
収録資料出版年月日 | 2000.10.31 |
言語 | 日本語 |
方言 | 標準語 |
備考 | 非売品 |