武田池の狐
タケダイケ ノ キツネ
原文
ひたちなか市武田にある武田池は一本松溜とも言われ、あたりは稲荷ケ谷津と呼ばれていました。
むかし、池の近くにあった照道寺が廃寺になると、質の悪い狐がたくさん棲み着くようになりました。
狐たちは、家畜を襲ったり、民家を荒したり、いたずらのし放題。
そのうえ、火事まで出す始末で、村人たちはとうとう我慢しきれず、狐を一匹残らず退治してしまいました。
ところが、しばらくすると、村は原因不明の流行病に襲われました。
病は、治す手だてを知らない村人の間にどんどん広がるばかりでした。
困り切った村人たちは、山伏にきとうをしてもら
ました。すると、山伏は、狐のたたりだと言うのです
。そこで、村人たちは、池のほとりに稲荷を建て、狐の霊をワつワ香、流行病退散の祈願をしたところ、病は、やっと鎮まったと言う事です
。そんなことから、稲ヶ谷津の名がついたと言われています。
また、ここには、才三郎狐の話も残っています。
才三郎狐は、枝川寄り波穂打という所のおまん狐と夫婦だったと言われ、近隣にはたくさんの子供たちがいたようです。
才三郎狐は、名前の通り、とても賢い狐で、那珂川に鮭がのぼってくると、毎晩、鮭を捕っては水戸の街に売りに行っていたと言うのです。
あるいは、才三郎という村の若者が、密漁した鮭を売っては酒の飲み代にしていたのですが、ある夜、狐に化かされ、捕った鮭をそっくり取り上げられてしまいました。
そこで、その狐に才三郎という名前をつけたのだという話もあります。
市町村 | ひたちなか市 |
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原文著者 | 染谷 萬千子 |
原文著者(ヨミ) | ソメヤ マチコ |
生年 | 1947年 |
原文著者備考 | 1947年茨城県ひたちなか市生まれ 茨城大学教育学部美術科卒 1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。 1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展 1983年 水戸で第二回個展 1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展 |
原文著者 | 茨城いすゞ自動車 |
原文著者(ヨミ) | イバラキ イスズ ジドウシャ |
原文著者備考 | 発行 |
原文著者 | 朝日広告社茨城支局 |
原文著者(ヨミ) | アサヒコウコクシャ イバラキシキョク |
原文著者備考 | 企画 |
媒体 | 図書 |
収録資料名 | ふるさとの昔ばなし |
収録資料名(ヨミ) | フルサト ノ ムカシバナシ |
収録資料シリーズ名 | 茨城の自然探訪シリーズ |
民話ページ | P207 〜 P207 |
収録資料出版社 | 茨城いすゞ自動車 |
収録資料出版年月日 | 2000.10.31 |
言語 | 日本語 |
方言 | 標準語 |
備考 | 非売品 |