大塚古墳1号墳”黒坂命古墳”
(おおつかこふんいちごうふん”くろさかのみことこふん”)
『常陸国風土記』逸文の茨城郡の条には、国巣征討に関わった黒坂命が陸奥の蝦夷征討の凱旋の途中、多歌郡の角枯山で病により亡くなったとの記述があり、大塚古墳1号墳は、黒坂命の遺骸が葬られた場所であるという伝承がある。大塚古墳1号墳は、大塚古墳群のうちの一つで、霞ケ浦湖岸低地に面した低台地に立地する径53.4m、高さ11.8mの大型の円墳である。弘化4(1847)年、中腹にあった稲荷社を塚上に遷社祭祀しようと整地した際、箱式石棺とその中から剣や甲冑、鏡等々の遺物が出土した。色川三中は、「黒坂命墳墓考」にその様子を記すとともに、大塚古墳1号墳を黒坂命の墳墓であろうと考察している。
指定の種別 | 美浦村指定史跡 |
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市町村名 | 美浦村 |
所在地 | 美浦村大塚 |
担当課 | 美浦村教育委員会生涯学習課 |
電話番号 | 029-886-0291(美浦村文化財センター) |
参考URL | なし |
常陸国風土記の記載内容
茨城郡
黒坂命陸奥の蝦夷を征罸、事了りて凱旋、多歌の郡角枯之山に及、黒坂命身を病に遇ふ、故爰に角枯を改て黒前の山と號ふ。黒坂命之輸轜車、黒前の山より発ちて日高見の国に到る。葬具儀、赤旗青幡、交雑飄颺り、雲の如く飛ひ虹の如く張りて、野を瑩し路を耀かす。時の人之幡垂の国と謂ふ。後の世言便信太の国と称ふ。(『常陸国風土記』逸文(天保十年 西野宣明校注版本))